今日は色々な人と話をして、様々なことが頭の中に浮かんだ。
・野菜は究極の創造作品
昔から作ることが好き。
植物である野菜は生物であって、この世の生物全てが消費者になりうる。
そしてSEEDを広めるために、実を食べさせたりもする。
バナナは昔は3本線の種があった。
そして、ある日種無しの実をつけ、人間に受け入れられ、
人間はバナナの策略により世界に進出することが出来た。
そういった話を踏まえても、
目に見える形では、野菜は地球上における究極の作品だと思う。
・自分のやりたいことをやれば世の中は良くなる
この世の誰一人として、”まっとう” がわかる人間はいない。
ただ、”まっとう” だと思うことをやってワクワクして楽しんでいれば世の中は良くなる。
それが ”まっとう” でないとわかっていて行うことは、
必ず世界の誰かを傷つけている。
巡り巡って自分に返ってくることになる。
周りの人のためと思うことは心の中に依存を生む。
主体的でなければ意味がない。
身の回りの人の幸せを願いたくなる。
でも、目的は人によって違うこともある。
不幸の中に意味を見出すことが出来、
学べるひとは、幸せにすることで学びの機会を奪っていることになる。
自分の価値観は、世界で自分一人のもの。
そして学びが何から得られるかも、世界自分ひとりの独自のもの。
自分のやることをまっとうにやることで、あるべき姿に戻る。
・自由
自由は自らに由る。
真の自由は、自らに由って作ることができる。
何者かに頼ることは、依存となり、自分は縛られることになる。
スラム街で住んでいたときは、曲がり角で殺されるかもしれない生活の毎日だった。
常に死と隣り合わせ。
不思議なもので、 ”生きた心地がしない” ことは、 ”生きている実感” を強く感じられることでもあった。
究極の緊張の中に、瞬間の緩和を感じることが出来る。
覚悟の中のくつろぎ。
自らに由ると、どちらも同時に感じることが出来、
自由を感じられる。
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