2021/05/28 目が覚めた

メモ
  • 目が覚めた

自分の歩みが遅すぎて、このままだと満足して終われないことに氣がついた。
見える世界の仕組みが深くなる度に、今まで見えていた世界がミクロレベルと悟り、マジか。。
という焦りに近い、これからさらに広い世界に羽ばたいていける武者震いのようなワクワクも湧いてくる。

自分たちが今まで習っていた常識でのゴールのようなものとは、信じられないくらいにこの世界において層が異なる。
過去であれば、転生して着実に駒を進めることも可能だったかも知れないが、
今はそんなことこの時代の死ぬ間際に知ってもどうするの?と感じるレベルかも知れない。
それくらい時代は大きく変わってる。
もし暴力的な書き方をしていて氣分を害していたらごめんなさい。

例えば教えられていないこの世界の仕組みを知るレベルの悟りを開くことが出来たひとは、
伝説のように語られるけど、知覚して感じるとスタート地点に立つ前の状態レベル位、
むしろそこからの道が果てしない。
ボーナスゲームであり、ようやくこの世界の進め方のゲームの説明書を手にする権利を得た位な感覚がある。
マラソン走ってて、42.195kmを意識してたのに、
4km地点で、実は42,195kmの間違いで走ってた事に氣がついてしまったみたいな。
それが何度も何度も起きる。
氣付きを得るのが遅ければ遅いほど、到達できる地点も手前になってしまう。

自分が知覚している感覚では、今現在の自分の歩みでは、
知れば知るほど満足できない地点でこの人生諦めます!
と言っていることと同意義になってしまうことになる。
今日はたこ焼き作ろう決めて、小麦粉水で溶いて終わり!みたいな。
そこで終わって本当にいいの!!?満足してる???みたいな。そんな感覚。

日々この世界において知覚出来る範囲が広くなればなるほど、
今とは比較することが不可能なほど見たことのない景色に行けることも感じられる。
というか論理的にそうならざるを得ない。
だからこそ今は全力で駒を進めることに注力したいというか。
でも見たことのない景色に進むことが、正解なのかといえばそうでもないこともわかる。
道のどこの地点でどういう風に人生を樂しむのか、それこそが真の自由意志でもあるなとも感じるので、
また深くすべての存在を愛したくなる。

然しながら先に進む決断をすれば、今までと同じ関係、同じ生き方で生きていくのは困難になってしまう。
自分自身が氣がついて、身近な他者にこんないいことがあるよ!と誠心誠意伝えようと努力しても、
理解してくれるとは限らない。
むしろ設定されている”常識”から外れることがあるとしたら、
距離を取りたくなる人も増えてくるかも知れない。
そこに自分を合わせると、前に進むことは困難だ。
4万キロ以上走ろうとしてるのに、4キロ地点で仲良しの友達と一緒に走りたいがため、
走る速度を友達に合わせても、自分の満足する地点に到達出来るかといえば、決してそんなことはない。
自分が満足出来る位置に到達するには、自分のスピードで進む必要がある。

どうしてもいろいろと自分が自分のスピードに合わせるためには、
交友関係やら、生活やら様々な場面において切り替えていく必要性が出てくる。
もちろん共に進み続けられる関係性の人がいれば、共に成長し続けながら道を歩めるだろうとは思う。
それでも様々な点において覚悟は必要になってくる。

直近でも自分にとって心地よい状況を、離れる覚悟をする機会があった。
それは苦しいものだったけど、覚悟が出来たからこそ、その地点での悟りを覚えられた。
その地点での自分が見えるようになったからこそ、前に進めると改めて実感することがあった。
俺自身、自分の尻尾めがけて回ってる犬と変わらなかった。同じところをずっとグルグル。
その状態に自分がいたことすら何一つ氣がついていなかったどころか、
むしろすごいスピードで前に進んでいたと錯覚していた。
前に進めば尻尾なんてわざわざ追いかけなくても後ろからついてくる。
尻尾を追う必要はないんだけど、尻尾めがけて回ってるうちは、
それが正しいことしていると思って必死なんだよな。

だからこそ大切なのは、今進めている一歩一歩の意味というか。
今の一歩は後の100,000kmに匹敵する意味と同等か、さらに上行くものになる。
それくらい今踏み出す一歩は信じられないくらい大きいんだ。
たかが一歩でも、全身全靈込めての一歩は次元を超える力を秘める。

もっとしっかりと起きなさい。

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