- 疑って生きる
あまりにも地元が辛かった。
親友であった人達も仲間を狩ることをし始めてからは感情が読めなくなり、
まるで敵のように振る舞っていた。
それでも、彼らは見た目の装いだけでこころは苦しいのを感じていた。
そういったところで育ってしまった。
日本語が話せても言葉の意味を信じることが出来ないところなので、
言語の通じないUSの黒人スラム街、香港、フィリピンでもどこでも、
ひとの行動、目、表情、行動で生きるようになった。
それらが一致しないひとは、バリアをはる。
それが自らを守る術となった。
一致しないひとは、大抵なんらかの思惑があり、
表立たない魂胆が稀に見え隠れする。
その ”ひとから出る闇” は、大抵新たな問題を生むため、
徹底して近づかないように避けて生きてきた。
(海外にいる間に、いつの間にか日本で人狼ゲームというものが流行っていたけど、
自分からしたらまっぴらごめんだ。
嫌でもひとを疑って生きてきたのに、
遊びとはいえ、ひとを疑うことをしなければいけないのはただ苦しい。
物騒な言葉も、疑うということも、意識が特定の周波数になる。
それは魔に繋がりやすくなる。
そんな危ないゲームを樂しんでやるのは、
問題を避けたくて生きてきた自分にとっては、
見極めができてない状態でそれは信じられないレベルで危険なことに感じる。)
- 縦と横
危機察知能力を高めるということは、それだけ氣を読む必要があるということ。
だからDJやら、ガイドなどのその場を読む力は長けてきた。
氣を読むということは、第三の目を使うということ。
曲がり角を曲がる前でも危険が潜んでることを、
予め察知出来るようになっていた。
その能力が活性化されると、同時に縦もキャッチしやすくなる。
その代わり、横はかなりシャットしてしまっていたかも知れない。
- 愛やら、目の前のひと・情報
最近、愛やら、目の前のひと・情報などについてのインプットが多かった。
そして過去の自分にもリンクする必要性もある。
これは今まで弱かった横について向き合うということ。
名前も聞いたことのない存在を昨日知り、縦の情報が入ってきたが、
おそらく横も必要なのだろう。
自分の強い縦、そして弱い横。
次に進むための道はしっかり見えている。
闇は闇として捉えた上で、手を取る。
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