- 俺の目的
俺が今まで個人で海外のVIP向けの仕事をしたり。
法人で日本に信用を作る仕事をしようとしたり。
ブログをやったり、YOUTUBEをしたり。
田舎に引っ越してみたり、人々に仕組みをなんとか伝えようとしたり、
音樂を意味を込め作ろうとしたり。
俺がやろうとしている、成し遂げようとしている目的は、
世直しと幸せな人を増やすことだ。
そのために今田舎に住んで、そのために全ての価値観をリセットし、
そのために自分の意識を真ん中に戻し、
そのために多くの人の視点に立とうとしている。
本来の生きる意味を、本来の生活から得られるものを自ら模索している。
多くの人の幸せを願うならそれが必要不可欠なためだ。
人にどう思われようが、自分の目的からしたら大した話じゃない。
氣がついたにんげんがやればいい。
協力してくれるひとがいたら、ありがたく協力しあって、
皆で世を変えていく。
それだけの話しだ。
いまは人間どころか、今度は他の生き物、自然の氣持ちにも立つ必要がある。
来るとこまで来ているんだ。
このまま氣がつかない人が多いままだと天変地異が起こりかねない。
意味がわからないひとが多いと思うが、
至極当然の話しなんだ。
それを阻止するには、ひとりひとりが幸せに、自分らしく生きればいいだけ。
そのためにはまず目の前の歩みを一歩ずつ。
目の前の人から大切に。
自分がこれからやろうとしている事において、
自分で思惑なく、
システムにより魔に染まってしまっている方々を見過ごせるわけがない。
俺はしっかりした視点を持つ必要性を感じている。
といっても樂しみながらだけど。
- 今までの身を守る術
今まで一生で培って、間違いなかった価値観があった。
地元はヤクザの町で、各々身を守る術があったと思う。
ただ生きていくだけでも大変だったが、
その中で、自らやりやすいルールを作っていくのがなにより一番簡単な道だった。
環境として親友と呼べるような仲の良かったひとたちが、
お互いを狩り始め、顔色一つ変えることなくナイフで刺せるように変わってしまった。
今考えれば、心は恐れ、表現の字がそうなってしまっただけの話だった。
ちなみにその時に作ったルールは、
海外で言葉の通じない、文化もわからない中でも通用するものだった。
対人間として、自分の身を守るところにおいては一生使えるルールであり価値観。
自分が設定したルールは、
1嘘をつかない
2目、表情、言葉、行動が一致しない人間は氣をつける
3平等に接する
この2がひとの見極めには結構大切で、ここが一致していない人間は、
自分が生きていた環境では、ほぼ何らかの思惑があり、
その目的のため、ひとをハメたり、狩るといったものが意識にあった。
つまり裏に嘘秘密があるということ。
(俺が嘘つきに映っている方、それは実現出来ていない約束です・・なかなか形にできずすいません。。)
そのおかげで、ここは常に回避することが出来た。
言い換えれば、これは魔を回避することが出来る奥義のようなものだった。
洞察力さえあれば、必ず、目、表情、言葉、行動が一致しない瞬間が見えてくる。
その瞬間が見えれば、
攻撃や思惑、不安などの、魔がいるということになる。
今までの経験で言えば、
町のごろつき、胡散臭い海外のブローカー、
超がつくほどトップのビジネスマン、
裏のドンやら、元経済大臣などのVIP。
などが一致していない瞬間があった。
世間の勝ち組と言われるひとたちは、かなり洞察しないとそこの不一致は見えづらい。
逆に目、表情、言葉、行動が一致しているひとは、
自分に繋がって生きているひとが多い。
価値観をお金やらで騙すことの前に、
自分らしくあることにおいている人が多く、
そういったひとたちは付き合っていて樂しく、個性的なひとが多い。
多い人は、
自営業、社長、アーティストが多かった。ちなみに現代社会だと弱者になりやすい設定になっている。
こういったわかりやすい見定め方があったおかげで、
人生で今までどこの国に行っても危機を回避することが出来たが、
これからは通用するどころか足を引っ張る可能性も出てくる事もわかったため、一旦新たな感覚を養うために保留する必要がある。
なぜなら、魔の教育・環境において育ったひとびとは、
自分で氣が付かずに目、表情、言葉、行動が一致しない事が増えている。
後日書くが、元々人と人の繋がりは、個性と個性だった。
それが、お金のためだったり評価のために、個性を隠し仮面をかぶり
偽りの自分を前に出すことで人々は付き合うことをはじめてしまった。
演劇がうまいものが、更に自分を隠す必要のある、
高い演劇スキルを求められる仕組みが作られ、
彼らが高給取りになり勝ち組と呼ばれる世界が構築された。
学校の先生も、対評価基準、対保護者、対生徒にならざるを得なくなり、
仮面をかぶる様になった。
すると子供にとって、仮面をかぶった目、表情、言葉、行動が一致しないものたちが
ついていくべき教育者となる。
子供がどういう人間になるかは、教育・環境が全てであり、
その大人を見た子供はそれが当たり前だと思うようになる。
これが何世代も続くと、
自分が自分に騙されていることがわからないものが教育者となり、
それを手本に子供が育つことになることになるため、結果
目、表情、言葉、行動が一致しなくなる。
つまり、自分で意識せずに魔の仕組みに染まる。
今までは一致しないひとは、わかりやすく思惑がある魔に取り憑かれているため
単純に惡いというので片付けられた。
しかしながら最近の教育・環境で育ったひとたちは、
思惑がなく、どれだけ自分が魔に染まっているのかがわかっておらず、
みずから進んで苦しい道に進んでいることに氣がついていない。
また魔の仕組みとして、
魔の仕組みに関わっているものに付き合うことで、
優しさであったり”愛”であったりが、
そのまま魔に染まるという特徴もある。
対処法だが、自分自身はまだ編み出せていないし、ほとんどの人が見出せていないと思う。そのため過去文明が何度も滅びている。
対処法としては、触れないことが一番である。
触れることで、仕組みのわかっていないほぼほぼ殆どのひとが例外なく魔に引っ張られるため、
苦しみに向かう方向に進み始める。
また魔に染まり進んでいく者たちは、
氣がつくことなく、その優しさや愛情から他者を魔に染めるような働きをし始める。
魔は自分自身が惡とは微塵も感じていないのだ。
世の中はそういう仕組で出来ている。
- 立体に
奇数は偶数と合わさることで、新たな奇数となる。
例えば一+二=三、これから通用する新たな価値観を手に入れ、
過去の価値観と合わせる。
以前は頭で考える形を持った○だった価値観が、
新たな価値観、例えば流動的な波で直感の流れ重視の〜の価値観を手に入れられれば、
2つを合わせることで螺旋となる。
太陽の周りを公転する地球、
地球の周りを公転する月、これは螺旋だ。
世の中全て波で出来ている。
陰陽行き来の周波数の波〜
同時に循環のマル○としても考えられるため、
足すと螺旋になる。
周期の話だけが螺旋であるというわけではない。
考え方一つにとっても、
今の考え方が○で囲われた意識の結界の中にあると認識し、
流動的に、科学的に見えづらい感覚としての〜を捉えることで、
考え方を立体にすることが出来る。
ここでようやく一つ次元を上げることが出来る。
平面の中に生きていることを自覚し、
あらたな平面を概念として持ち、
そして立体にする。
その立体はまた一つの平面のような存在となり、
同じような存在をぶつけることで、
更に上の次元へと意識をあげていくことが出来る。
俺はまだ次の平面を自覚し、概念を持ち認識している最中。
更に直感を使う必要性も感じている。
- 違和感
妙な違和感があった。
今までは同じ空間にいても、どことなく懐かしく、
調和を感じていたひとがいた。
それでも昨日あったときにはどことなく調和しない違和感があった。
今までは調和していた感じしかなかったけど、今回は感じられなかった。
自分がすべてを作る世の中ではあるけど、
それでも妙な違和感があったのは確かだった。
頭で考えて違いをはかりとる見定め方ではなく、
本能ベースの直感。
進む方向が変わったってことなんだろうなと思う。
ラインが変わったと直感したのも、こういうことだったのか。
自分はまだその方向に同調できるほど器用ではない。
もう、今までのような感覚での調和はとれないと感じた。
波〜の周波数がずれてくると、その違和感は感じやすい。
向いている向きが変わると、
互いの言うことも真逆に映るようになってくることも多い。
今回も周波数が近かった時はなんとか自分で出来ることは、
自分が出来ることまでやった。
自由意志がどこに進むかは自由意志次第でもある。
このひとがというわけでなくとも、
今後魔にそまってしまっているひとに対し、
どこまで自分が注意を向けるべきなのか、
本当にいい勉強になった。
魔に引き寄せられ自ら進む道も、
また自由意志。
それはそれで惡くはない。
學びを自ら得るためにまだ苦しむ必要があるため、
自ら進んでいるだけに過ぎない。
それを妨害するようなことはしたくない。
- これから
俺がどう概念を広げ、
一人でも多くが幸せになれる道を模索できるか。
言い換えれば、どう立体に出来るか。
それが肝だな。
- それにしても
地球は最高だ
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