- 山籠り生活
山籠り生活がスタートした。
まだ全てやることが済んでいないため、その日だけ用事を済ませに戻る生活にもなる。
ちなみに写真はお向かいの廃屋
- 当初の山籠りの目的
山籠りの当初の目的 (→以降は当初の予定)
音樂漬け生活 音樂で生きていくため、音樂漬けになるところから
銭儲けの仕組み作りも
→人に会わず話さず、徹底的に音樂に向き合う時間をつくる。
自分の音樂を求める。
修行的な意味 今降っている感覚を強め。有利に使命を成し遂げるため
→人に会わず話さず、徹底的に自分と向き合う時間をつくる。
ラインも電話も使わない。
デトックス的な意味 體をニュートラルに戻す
→食べ物に氣をつけて、玄米、ごましお、梅干し、山水の生活。
過去に向き合う 自分の価値観に向き合うため
→人に会わず話さず、徹底的に自分と向き合う時間をつくる。
ラインも電話も使わない。
上から優先順位が高い当初の計画。
- 今回得た氣付き
ありがたい氣付きがいくつもあり、
うまくやれば久々に大きく視界が晴れる。
1,過去も未来もなく今があるだけ
過去に向き合う必要がない。
今の今に全身全靈で樂しく生きることで樂しく達成出来る。2,俺が住んでいる世界は、俺の色眼鏡で全て成り立っている
俺の生きている全ての世界が、俺の思い込みの世界に見えていること。
世界すべては俺が構築している3.自分が決定した方向にいく
自分がどうしたいかどうか、それは結局今の自分がどういたいか。
それだけで、意識が変わった瞬間に、
”瞬時にその世界は違う世界線に乗った” といえる。
これがわかれば世界は思いのままに構築できる。この人間関係はどうだ。
この學びは何から學ぶ。
どうすればその境地に到れるのかの、判断材料すら一瞬で変えられる。学校で習ったような 1+1=2 の様な答えなんてものはなく、
それすらも自分で決められるということ。
瞬時に違う世界線に乗れる意味。
近所の85歳のおばあちゃん。
よく会う友達なんだけど、
彼女が、皆の街の中で唯一のたまり場である喫茶店ロマンに通っている。
彼女は「店主のうどんはやっぱり美味しいね」
と、嬉しさから言った。そしたらそこで雇われて言うパートの女性の方が、
「わたしのうどんはまずいと言った!」
と勘違いをして、近所の人にその話をして、
それ以降パートの女性は、そのおばあちゃんに対して、
うどんを一切つくるのをやめてしまった。結局ひとにとっての「喜びの分かち合い」が、
色眼鏡によって、「自分への攻撃や批判」に変わってしまったということ。
自らの概念を広げ、新たな価値観を得、
自らの視界が晴れた瞬間にこの世は一瞬にして変わる。
- 山籠り計画
以上のインプットがゆえの山籠り現状変更点がいろいろあった。
また当初の計画からの今の状態も
山籠もりの予行となった山生活
山籠りをすぐしようとしたけど生活的に不可能。
虫が這う、ねずみがいる。
等でまともに”文明社会人間らしい”生活を作るのに精一杯。
体をアリに噛まれるところから始まり、虫が体を這う感覚で寝付けず。
障子一枚挟んだ向こうから感じる、ねずみの気配が氣になり寝れず、
目を覚ましたら、布団の横にねずみの糞が落ちてたり本当にきつかった。過去にアメリカ黒人スラム街に住んだり、
香港のボロボロの下町のタコ部屋に住んだり、
フィリピンでボロホテル生活をしたり、
そんな過去の経験がないととてもここで生活を始めることなど不可能だった。極めつけは、ここに住んでいた葛飾区の経験がデカイ。
友人たちからかなり人間らしい本能の部分を習った。
それが今に生きてる。結果、窓ガラスに付くホタルを樂しんだり、
家に住む蜘蛛の素の場所の観察をしたり余裕も出てきた。まぁ、
ねずみを捕り、バルサンをかけ、ムカデ対策、家の中を飛んでいる虫対策、
蚊帳設置、蚊取り線香、服は半分前の家に戻し、それ以外は基本吊るす。などの基本生活を変えたからというのはあるけど。
音樂漬け生活
→10日ほど時間はかかったが、遂に始めた。
→人に会っても話してもいい、徹底的に自分と向き合う時間をつくる。
ラインも電話も必要だと思えば使う。俺の音樂にネットは不可欠。
Focal Trio 6 beは小屋に設置するようなスピーカーでなく、
耳が死にかけているので改善が必要。
音樂の師匠でありパートナーの Yui Arimura と徹底的に、
今まで向き合ってこなかった自身のweak point と向き合い、
なくして得意にしていく。
デトックス的な意味 體をニュートラルに戻す
→生活やら生活場所の確保のストレスから食べ物は適当になっている。
インスタントヌードルも食し、暴食に近い。
食事は必ず山水使用中。玄米の生活にまた戻すため、ごま塩、梅干しと言った縛りは得になし。
体に何が惡いかを知った上で、食べたいものを食べたい時に食べる。
今は食べるけど後で戻す。
過去とは向き合わない
今の自分を全身全靈で樂しめば、自分の価値観に向き合うことも出来、
新たなことや、様々な人生の創造の一歩目である”行動”にも着手できる。→徹底的に自分と向き合う時間をつくる。
その代わり樂しむ前提で、學ぶために過去の暗い話に向き合う必要はない。犬が自分のしっぽを追いかけてくるくる同じところにいるより、
前に進んだほうが尻尾はついてくる。そして先々月くらいに降ってきた、精神と物質の世界においての相対性理論において、
ワクワクしたものに触れている方が前にすすめる。
- 山生活10日を過ぎての今の心境
当初は色々荷物の厳選やら、機材を運んだり、
用事なども重なり
住んでいたところに戻っていた。
面白い人達が多いので人に会いたいという氣持ちがあったのかどうなのか。
仲良かったひとがいなくなったからなのか。
あれから特に戻って人と話をしようとする氣持ちも起こらず。
どちらにしろ、話が通じるであろうは話相手はほしいのかも知れないということに氣がついた。
そりゃ、俺の生き方をしていると、目線を合わせて話ができるひとがかなり限られてくる。
こういう時は、昔あったような同じ理解度での会話をする樂しさを思い出す。
トイレも山、風呂は川。
家は最初動物やら虫がいた。
ここ数ヶ月本当にシンプルな玄米と、何かしらのおかず。という生活をして、
腹八分目でどんどん体重が落ちていたにもかかわらず、
最近は食べ物も選ばず、暴食氣味だ。
元々ストレスを食にぶつけるタイプだった。
上記の通り乱れに乱れているためこれから戻していく。
いきなり生活を変え、
自分の人生を全部かける様な生き方にシフトしたのもあってか、
自分をうまく操っていない。
動かなくても今の今は生きていける。
それでも今、どれだけ自分に向き合って動けるかが後の自分の人生を作る。
しっかり動けよ!俺!
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