- 人を氣にしない
自分のことだけに先ず集中する。
自分を愛して、自分を癒やす。
他人は中傷したり、感知せず、見守るだけで十分。
世間体だったり、良しとされることと頭で感じ取り、
そのために意識が行ってしまうのは、
本来の自分のこころの声、自分のことが疎かになっている状態になる。
沢山稼いで、自分の働きとして、良き家族になっている。
といったことすら、そもそもその考えはどこから来たのか。
それは ”良しとされることのため” の他者によって作られた意識が入っているのではないだろうか。
小学生の頃の無垢な自分のこころが求めてたこと。
それは魂レベルで知っている自分の方向性。
ひとのことはどうでもよく、自分らしくいて、樂しんでいればいい。
- 難度
本来、みな自分の魂の望みを実現することに精一杯。
そのくせ、自分のことを諦めたり、こうした方がいいという、
今生きるこの世の中で美徳や大切とされている受け継がれていることに頭が一杯になる。
自分のこころに従って成長することで精一杯なはずなのに、
他者によって作られた、自分の心から発生していない仕組みに、
従っていたら自分のこころがみえてこなくなる。
そもそも、自ら氣がつくために生まれてきているので、
苦しみの中から、自分が何に氣がつけるか。
それが全て。
そのため、何らかの目的で作られている設定に、
ただ従順に従うということは、
わたしたちが習った仕組み上では素晴らしいが、
人生の目的においてはむしろ後退していっているとも言える。
設定の中で、いかに自分に氣がつけ、自分を生きていけるようになるか、
が前進の鍵となる。
死ぬ時に氣がついても、もっと早くに氣がつくべきだった。
としか思えない。
(一度でも死んだひとには通じるだろうけど)
- 他者に対してのネガティブな心の動き
自分だったり、自分の敵を叩くひとは多い。
叩けば叩くほど、陰陽融合から遠ざかる。
一旦手を止め、その中で氣がつくことで、進化成長の方へ歩みを始める。
氣の停滞が起きると、無理やり動かす力が働く。
台風や地震などもそう。
氣がつかないと、あとになり取り返しがつかない事も起きる。
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