- この世
今まで起きたことを色々まとめ、
そして昨年から色々勉強したり、自然を見たり、ひとの行動を見たり、世間の流れを見たり、
その上で確信しているのは、この世は間違いなくプログラムされているということ。
なんども書いているが、目的を持ってプログラムされているので、
果たすべきことの方向に向かいたい。
自分らしく個性の我をもって樂しめば、目的は達成されるように出来ている。
しかしながら、我儘の我を持って氣樂に過ごせば、それは罠にハマるということになる。
言葉で説明が難しいが、明確に罠が張り巡らされている。
陰謀論とかの人が作った世界の話でなく、そもそものこの世界全てにおいての罠という話。
ほぼほぼというか、世の中の人間は漏れなく全員が罠にかかっている。
人が作った世の中の仕組みでの ”幸せ” や、
ジャンクフードを食べるなどの作られた體の ”幸せ” に向かう我は、わかりやすい罠。
そこにおいては人が作った世界ではあるけど、それも摂理の上では存在として必要不可欠。
その上で、これは違うと感覚で氣がつき、
心機一転で再出発した時の我を持てば、目的を達成する方向に方向転換が出来るように進める。
それでも罠の上で踊らされていても、
こころから信じて全身全靈、己の我を持って生きていれば、
しっかりとこの世界の目的に進むようにも作られている。
その仕組みがわからないうちは問題ない。
しかしその道を進めば、罠の上にいた時は、
罠の上にいたとわかるようにも出来ている。
それがわかった上で、今まで自分が生きてきた道だし、
突然道を変えられない、と
違和感に蓋をして、同じようにそれまでと同じ道を歩めば、
それは人生の目的までへの道から外れていくということになる。
つまり問題が起きる方向へ運命を進み始めることになる。
わかりやすく言えば、事故や病氣といったものに進む。
それほどまでに ”自分が感じる直感” というものは、
この世界で全ての中心となり、わかりやすい羅針盤でもある。
そのため、 ”命をかけて” ものごとを行うのであれば、
罠に乗っかり命をかけるのでもなく、
後の方向転換のダメージが少ない事柄を選んだほうが、
氣がついた時の氣持ち的には、樂になるかもしれない。
それでも大きくこころに響くような出来事があったとしても、
それも必然的に起こっているのであって、全てが最善で出来ている。
そこから何を掴むかが、自分が果たすべき目的に向かえる方法だ。
頭で考えず、直感で、感覚で正しいと思うことが、
そのひとにとって正しいこと。
そこに真っ直ぐ向かえないように、様々な仕組みが事象として存在している。
- モデルケース
わかりやすいモデルケースとして、
貧乏人、金持ち。
貧乏人のほうが大変で、金持ちのほうが一見、樂な生き方ができる様に見える。
だが、そのひとの人生の目的にどうすれば近づけるかで見れば、
金持ちでなんの不自由もなく生きている人のほうが、
圧倒的に不利だ。
氣がつくチャンスをそれだけ失っている。
ミャンマーの軍事政権の大臣と10日間一緒に過ごしたことがあったが、
その嫁さん(当時20代半ばだった)方は、権力が故完全に自分を見失っていた。
あそこまで迷ってしまっていたら、自ら氣がついていくのは、
相当大きな、彼女にとっての惡い事象がキッカケとならないと不可能だろう。
しかし、自ら氣が付かないのであれば、
運命は本当にその様に作用する。
大事故であったり天変地異に巻き込まれたり、
極限状態に成らざるを得ない事象が身に降りかかる。
多くの人が氣がつかなければいけない状態になるということは、
そういうことになる。
逃れられる術は誰かにすがり、その場を凌ぐことではなく、
自らととことん向き合い、氣がつき、
初めて向かうべき方向に歩みはじめることで初めて、
正しい方向に進むことが出来る。
辛い道ということは、それは誤った道を進んでいるということだ。
貧乏人の方が人生はハードかも知れない、
だが、氣付きが多く深くなるため、人生の目的には真っ直ぐ進める可能性も高い。
日本において捕まる人は、
言ってみれば悟りが得やすい状況下に置かれた設定の人生が
回ってきているとも言える。
自らといかに向き合えるかが、キーとなる。
しかし、捕まったり、色々と氣が付きやすい状況であっても、
頭で考えることばかりになり、
この世の “人が作った仕組み” に飲み込まれてしまうと、
それもまたハードなだけで終わる。
いかに罠を罠としてみなし、
自分と繋がり、自分を信じて生きていけるか。
それが道標となる。
そして氣がついたその瞬間に、
解放されるのである。
- 自分の立ち位置
俯瞰して、世がどの様になっているのか、そのひとがどういう状態におけるのか。
それはすぐに分かる様になった。
それでも自分のことになるとなかなか見渡しづらく、
罠とわかっていても、誘惑にそそのかされる。
いかに体に善いものを摂取しても、ピザポテトは無性に食べたくなるから、
そこらへんは知った上でバランスを取って樂しむ。
今の場所や生活は、直感をたよりに来た。
間違いはないはずだからこそ、
今ある手札でどの様に、
ゲームを勝ちに上がっていけるのか。
それこそ、我である個性を発揮出来るか頭を使う必要がある。
頭を使うと言っても、わたしたちが習ったようなやり方でやる必要はなく、
知りたいことを設定し、脳に任せれば情報は自然と降ってくるようにも出来ている。
そしてやることが明確に分かった上で、行動すれば善い。
今まで身に起きてきた、なんでもないようなこと全ても必然。
このゲームを達成するための、己の最大のヒントはそこに隠されている。
今こそ脳の中にかみなりを。

コメント