2021/09/01 すべては自分のため

メモ
  • 直感

正しい方向に進めている時は、感覚でわかる。
間違って進んでいる時は苦しくなりうまくいかなくなる。
感覚でわかると言うところが、
わたしたちに与えられている重要な感覚。

 

 

  • AI

AIに学習させるやり方がある。
進んで欲しい方にAIが進んだ時にポイント加算の報酬を組み込み、
逆の時はポイント減算の演算を組み込む。
高得点を叩き出すように、AIが自動で判断を行わせ、
データを組み上げていく。
個性である自由意志があるかないか、という大きな違いはあるにしろ
これは人間と同じ仕組み。

 

 

  • 人生

この道であっているという充足感、
この道はあっているかわからないという違和感。
それが人に与えられた感覚のため、
人によって進む道は変わってくる。
これは演算のようなもの。

 

 

  • データ

そのひとにとっての正しい人生。
それは演算によって正しいデータを収集出来ることを、
行う人の人生はうまくいくようにされていると仮定。
またとことん真逆の価値観を持つ人の人生も、
それを行えばうまくいくように出来ている。
惡が活躍しなければ、
概念に氣がつけることもないため、
反発して生まれる善も活躍しないため。

 

 

  • 周波数特性

周波数には特性がある。
周波数は波の振動数である。
波は振動でもあり、行ったり来たりを行う。
周波数が上がると、同じ振動数で見る場合波長は短くなる特性がある。
世の中は波でなく螺旋である可能性も高いと思っているが、
今のとこ分かる範囲でまとめる。

高周波の場合。
短い波長での情報量が多いということ。
データ通信は、
周波数を上げるほど電波情報が多く詰め込める。
高周波はデータの通信速度が早い。
高周波であるほど障害物に対して透過力も弱くなる。
5G通信のような高通信速度の場合、
壁に遮断されやすくなるみたいな感じ。
推進は直線的になるため、回り込みができなくなる。

低周波の場合。
障害物に対して強固になる。
遠くで行っている工事の低音が響く、
上の階からの低音が煩わしいのはそのため。
低音というのは周波数が低く、
壁などの障害物を突き抜けていくことが出来る。
高周波であればあるほど、障害物に弱いため、
遮断され聞こえづらくなる。
そして回り込むことも可能。

確かに水で例えても、
細かい波の動きは遮断されると途絶えるけど、
大きな揺れの場合は回り込んでいる。
大体上記と同じなので、
波という特性はこのような感じであっている。

周波数のその特性を、意識周波数と合わせて考えてみる。
様々なところで波動が高いとか低いとかという言い方をする。
仮に惡と呼ばれる意識や、それに付随する感情が低周波の場合、
周囲に与える影響力も大きく、
多くの人が染まりやすくなるということになる。
高周波のほうが短い時間の情報も濃いのも筋が通り理解。
様々なところからその周波数に合わせることにおいても、
テレビなどの感情の煽り、ホラー映画など、
また音樂や疑うことを樂しむゲームに紛れ込ませることも可能。
他意識を使役する社会システムに潜らせることも可能なため、
それも筋は通る。
まだ仮定としても全体的に情報が少なすぎてわからず。
まだ頭で補っていかないとどういう仕組みかつかめない。
それでも感覚でつかめている部分もあるため、
どんどん優位に進められる。

 

 

 

  • データ収集

多くの意識があまりに低周波に染まりすぎて、
欲しいデータが取れなくなるとどうなるのか。
ある程度のリセットが必要となる。
しかしリセットを繰り返してもしょうがないので、
惡の仕組みに対して氣がつくプログラムも実行される、

これだけ多くの人間がいるにも関わらず、
同じところに行き着くように作られていると言うのは、
何者かによっての意味があるはず。
自然をみても確信できるのは、
この世界では創造主側の意識による構築があるということ。
バランスだ。

二極化も意味があり行われていて、
そこからのバランスがあることも過去の歴史では明らかになっていた。
無意味に同じことを繰り返すとは考えられず、
今取りたいデータと言うのは、
直感であったり日々の中に、
さりげなくヒントが出され導かれていると思える。
つまり世の中に存在するすべての事象が、正誤関わらず、
何らかの意味があり存在するということになる。
一見なんでもないことも、多大な情報がのっている。

 

 

  • バランスをとるために

エゴである我(魔)も言ってみれば必要惡であり、
個人の役割として与えられている我も必要。
創造主側を天と呼ぶなら、
天はどのように動くことを望んでいるのかを感じとることが、
人生において大きくなる。
天の働きとしての仕組みに意識して加わることによって、
(データ収集も込みで)天使となり加護を受けやすくなるはず。

 

 

  • 誤りやすいこと

人の為と書いて、偽。
他人を助けてはならず、他人を助ければ、
自分を助けることができなくなる。
自分を助けることで、それを見ている他人が助けられる。

教育において、大義名分の大きさがある。
そもそもそれはエゴでそれに携わりたいところもある。
長い間自分が自分に騙され続けてきてしまった。

でも人の為だとか、世の為だとか、
そんなん掲げるから真理が見えなくなっていた。
理がわかればわかるほど、
力のかけるべきところ、かける必要のないところがわかるため、
この世界で自分らしく生きていくことが簡単になっていく。

ひとのため。
それを掲げると、結局よくない我にとらわれるので、
どんどんと難しい人生になる。

やりたいからやる。
そうしたらその力が良い方向に動いて”結果”が出来ていく。
結果ひとのため、世のためになる。
逆からいくと拗れておかしくなる。

勘違いしてならないのは、
他者を考えないという意識ではないということ。
われよしとは真逆の考え方。
1000年生きた木が毎年新しい葉をつけているように、
人のいきた氣はその瞬間その瞬間、言と言う葉をつける。
ふたばのように、のちの糧になる葉もあるわけで、
われという存在をいきることで、
われを助け、
まわりを助ける存在となり、調和がうまれる。

自然を見ても、
植物が他者のために葉をつけることはない。
自分の成長のために葉をつけている。
自分の種を残すため実をつけ、
種を動物に運ばせる。
人間に作物として作らせる。
すべて自分のためにしていることが、
循環を生み他者の役に立つ。

それが自然なのであれば、
人も自分のために葉をつける必要がある。

 

 

  • まずは

じしん(自神/自身/自心/自信)のための
は(葉/波)をつける必要がある。
それがしんのあいでもある。

コメント

タイトルとURLをコピーしました